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見えなくなりそうなものに手を伸ばして 深田悦之

教育総合誌「はるか+プラス」掲載:見えなくなりそうなものに手を伸ばして

 午後の強い太陽をさえぎって、ニセアカシヤがテニスコートの上に作る木陰。風が吹いて枝が揺れると、木陰も揺れ、光がチラチラと揺れる。そのコートの上で双子の兄弟が打ち合うボールは、鋭い弾道を描きながら、とぎれることなくネットの上を行ったり来たりしている。
  去年の夏だった。杉並区立和田中学校のテニスコートで、プロテニスプレーヤーの坂本真一さんと、双子の弟でプロテニスコーチの坂本京一さんが、テニス部員の少女たちにプロの技を披露してくれていた。

 坂本真一さんは僕の親友で、僕にテニスを教えてくれた人である。現役選手時代は全日本選手権シングルス優勝など数々のタイトルを勝ち取り、国別対抗団体戦のデビスカップ日本代表選手に何度となく選出された名選手。現役引退後は指導者として母校柳川高校の監督を務めて日本一の座をつかみ、現在もプロ選手も含めた日本のトッププレイヤーのコーチを務めている。僕の妻の親友が坂本さんと結婚して始まったおつき合いはもう30年近い。坂本家と家族のように親しくつきあわせていただくことで僕はテニスを知り、真一さんの戦う姿、選手をコーチする姿を見ながらテニスを学ばせてもらった。その経験が思いもよらず引き受けることになった公立中学部活動チームでのテニス指導の基礎になっていることは言うまでもない。


坂本兄弟、仲間たちとの記念のショット!

 坂本真一さんの双子の弟、京一さんもかつては日本テニス界を背負って立つことを期待された逸材だった。ふたりが組むダブルスは高校、大学と、同世代では向かうところ敵なしの強さを誇っていた。しかし大学時代に京一さんが練習中の怪我で片目を失明し、選手生命を絶たれてしまう。それで日本最強のダブルスペアを目指していた“坂本兄弟”は伝説の中に眠ることになってしまった。その後、京一さんはテニスコーチの道を進み、卓越した指導力で数多くの選手を送り出してきた。
坂本兄弟は長い間、別々の場所で活動を続けてきたが、数年前に福岡に開設された「ブライト・テニス・センター」所属のプレイヤー、コーチとして活動を開始。同時期に迎えた50歳を機に京一さんが選手として大会に参戦することを決意し、伝説の坂本兄弟ペアがシニア大会の中で復活することになった。坂本兄弟が目指したのは、全日本ベテランテニス選手権50歳以上男子ダブルスのタイトルを取ること。


ライブ中の深田さん

  毎年、秋に名古屋で行われるこの大会に出場するためには、各地区で行われるテニス協会公認の大会に出場し、蓄積された勝利ポイントで上位に入らなければいけない。上位に残れば全日本出場が確定する東京での大会の前日、練習をかねて坂本兄弟が和田中テニスコートを訪れてくれていたのだった。 「私は怪我をして片方の目の視力がほとんどありません。片目だけでボールを見て打っています。だから、今日のこのコートように木陰の中で、風が吹いて光がチラチラするような状況だとボールが見えづらいんです。でも、そこでボールが見えないと弱気になると、どんどんボールが見えなくなっていってしまう。だから、そういう状況になっても、見えるんだ、見えるんだとひたすら念じるです。そうしていると不思議とボールは見えてくるものなのです」 練習の後、京一さんが部員たちにこんな話をしてくれた。
部員たちはきょとんとした顔で、その話を聞いていた。それもそうだろう。つい今しがた見ていた京一さんの打つボールが、とてもそんなハンディを負った人が打つものには見えなかったのだから。

 その前日の同じような時間、部員たちのいないこのコートで、僕は京一さんの練習相手をさせてもらっていた。真一さんより一足先に福岡から東京に来ていた京一さんは、軽く汗を流しておきたいからと練習につきあってくれないかと言ってくださった。それは自分自身がテニスをする時間を削って中学生をコーチする出来の悪い弟子に、たまには思いっきりボールを打たせてあげようという坂本兄弟の気遣い以外のなにものでもなかった。練習の後、ベンチに座って水分を補給している時に、見えなくなりそうなボールも、見えるんだと念じれば見えて来ると京一さんがひとりごとのように話していた。その話を和田中テニス部の少女たちに話して欲しいなあと思った。でも、それは言えなかった。京一さんの心の葛藤を思うと口にはできなかった。


坂本真一・京一ペア/念願の全日本ベテランダブルス優勝!

 でも翌日、京一さんはすんなりとその話を子どもたちにしてくれた。そして、真一さんが言葉をつなぐ。  「弟が目を悪くして試合に出れなくなって、いつも私は弟の分もがんばらなくてはと思って戦ってきました。その思いがあったからこそ私は全日本選手権で優勝することができたのだと思います。その弟が勇気を振り絞って、もう一度兄弟で戦ってみたいと言ってくれたのは本当にうれしかったです。弟への恩返しのつもりで私もがんばります」

 子どもたちが、その坂本兄弟の言葉から何を感じてくれたのかはわからない。その時、その言葉に耳を傾けていた子たちは、この夏、中学生として最後の大会、杉並区大会団体戦でお互いの力を高め合って優勝した。記憶のどこかに刻まれた坂本兄弟の言葉が、彼女たちの心を支えてくれたと信じている。  坂本兄弟が和田中のコートを訪れた、昨年の全日本ベテランテニス選手権。決勝に進んだ坂本兄弟は、あと一歩のところで惜しくも優勝を逃す。そして満を持して臨んだ今年の大会で、ついに彼らは、学生チャンピオンになって以来34年ぶりの“全日本”の優勝カップを手にした。見えなくなりそうなものに手を伸ばして、そしてつかみ取った坂本兄弟。
優勝の瞬間をコートサイドで見ていた僕は、彼らが見せてくれた勇気をもっともっと子どもたちに伝えていかなければいけないと身が引き締まった。


ミュージシャン、深田悦之

深田悦之(ふかだえつじ)
ミュージシャン/音楽プロデューサー 1958年生まれ。
1980年ロックミュージカル“HAIR”でデビュー。
時任三郎のマネージメントを経て音楽プロデューサーに。ミュージシャンとして定期的なライブ活動も続けつつ、2003年から杉並区立和田中学校の外部サポーターとして、音楽講師、部活動コーチでボランティア活動を行ない、2007年3月より教育月刊誌「悠+」(ぎょうせい)で連載エッセイを執筆し、2008年には単行本「オレがコーチかよ!?区立和田中女子テニス部の950日」(毎日新聞社)が出版された。
学校ドキュメント本第二弾の出版が2009年春に予定されている。

ホームページ http://edge66p.com


※この記事は教育月刊誌「悠+(はるかプラス)」(ぎょうせい)2008年12月号に掲載された連載エッセイ「TUNE UP SCHOOL」より、出版社の許可を得て転載しました。無断転載はご遠慮ください。
「悠+」(ぎょうせい)ホームページhttp://www.gyosei.co.jp/harukaplus/index.html


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